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ちょっとよりみち >赤間宿の地域資源

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赤間宿のまちなみ

赤間宿は筑前二十一宿の一つで、北へ行くと芦屋往還、東へ行くと長崎街道に通じる中筋往還となる交通の要所でした。かつては、宿内に藩主、長崎奉行、諸大名が休泊する御茶屋(本陣)、家臣などのための町茶屋(脇本陣)、問屋場、郡屋、高札を掲げる制札場、番所などの公的施設がありました。町家は妻入と平入の両方が混在し、屋根の形や二階の窓の形も様々で、現在でも往時の面影をまちのいたるところでうかがい知ることができます。 
出光佐三生家

出光興産の創業者である出光佐三翁の生家。
表通りの家並みは近代的に改装されているが、所々に甲造り屋根、漆喰こて絵を施した白壁、蔀戸(しみど)、千本格子風の障子戸などが残っている。
勝屋酒造

創業以来210年以上続く老舗勝屋酒造。
店構えが立派な建物で、軒先には如何にも旧さを感じさせる看板と杉玉が揚がっている。
二月中頃には酒蔵を一般に開放して酒造り行程の見学や絞り立ての新酒の試飲、直売が行われている。
辻井戸

昔使用していた姿のままの「辻井戸」
辻井戸は、宿場の旅人や馬に飲み水を供給するためのもので、この赤間宿には須賀神社や法然寺の境内の他、町のあちらこちらに計七つの辻井戸があったと伝えられているが、現在は地区内に2箇所が残っている。
節婦お政の碑

赤間に住む長次郎には、政という娘がいました。政には、父が決めたいいなずけがいましたが、勝浦村の富豪が息子の嫁に欲しいといってきました。父の遺言にも背けず、また、富豪からも逃れることができず、享和元年(1801)政は18才のとき、自害をして果てました。
五卿西遷の記念碑

幕末の政変のさなか、攘夷派の公卿の急先鋒であった、三条実美たち7人は、京都を脱して長州へと落ちのびました。
そのうちの5人の公卿が長州から筑前入りをしました。慶応元年(1965年)、赤間に滞在した3週間は、高杉普作、西郷隆盛をはじめ全国から馳せ参じた勤王の志士などで大変な騒動でした。

熊越公園

かつて宗像大宮司家の居城があった城山を水面に映し、湖面にはショウブが遊歩道沿いにはツツジが憩う人の心を癒してくれます。整備されたトイレや駐車場(無料)があり、赤間宿散策の方にも利用されています。


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作成;唐津街道むなかた推進協議会